私の手元に一つの財布がある。ミラノで買ったものだ。横の長さは約二十センチ、幅が十センチという大ぶりな札入れタイプ。表側には、目のつんだ濃紺のクロスが張られている。裏はすべて滑らかな革。さらに三方の縁に、細かなスカラップ模様が施されている。よく見るとスカラップされた革を表と裏の生地の間に挟んで縫い込んであるのだ。そして何といっても可愛いのは表側の縁に、糸を一回結んで丸めたような玉が、等間隔で並んでいることである。それを見た時、なんと凝った洗練されたデザインだろうと思った。それでいて一見瓢々とカジュアルな表情だ。すべてのバランスが細かいところまで見事にとれている。だからやたらに主張することなく、しかしほかのどれとも違う静かな存在感を感じさせる。アクセントの玉は、いかにも手で作ったものらしく、一つひとつが微妙な表情を持っている。五十年代のアメリカの女の子が着ていた、サクランボのボンボン刺繍のカーディガンを思い出してしまう。そんな手の温かみを感じさせるディテールを、ツルリと無機質で辛口のクロスという素材の上にのせる。そしてさらに縁取りのスカラップが懐かしさを盛り上げる。しかしそれもただ可愛いだけでなく、一瞬ベルベットかなと思わせるような質感が、クロスに微妙な陰影を与えている。よく見るとスカラップの部分は裏革を表にして使っているのだ。表の未来的な手触りと、太めの糸を結んだ小さな玉の素朴で懐かしい印象。スカラップという甘いモチーフと、わざと裏にしてクラシックさを出したその革の質感。しかもこれだけ細部まで凝ったデザインを施しながら、財布自体は大ぶりでマチも広くポケットもたくさんついた機能重視の男物っぽい形である。この財布には、デザインの微妙なバランス感覚が見事に総合されていた。甘さと辛さ、シャープさと温かさ、有機的な手のイメージと無機的な人工繊維との融合。財布全体の機能性に対する押さえの利いた装飾性。優れたものは、一つのものの中にすべてこういう絶妙なバランスを含んでいる。それが、私たちがそれをパッと見た時、「あ、素敵」「しやれている」と感じる理由なのである。この財布を見た時も、私はなんともいえない魅力に圧倒された。一言でいえばほかにはない凝った印象と、大人の可愛らしさといった感じだろうか。しかし改めてこのデザインを分析的に考えてみると、本当に微妙な細部まで徹底的に計算されたバランスによって作られていることがわかる。紺の色がもうひとつ明るくても、糸の玉の大きさが○・一ミリ小さくても、そしてスカラップが表革だとしたら、この財布のバランスは崩れ、ここまで完璧な美しさにはならなかっただろう。財布という小さな世界に、完璧なまでに妥協しないバランスへの美意識と、服とも共通する時代の感性が行き届いているのである。このバランス感覚は、学習してもなかなか体得できるものではない。日本の服は微妙なバランスをとることが下手だが、反対に着物の柄行きや帯とのバランス感覚は日本人にしか持ち得ないものだろう。何かを買う時、そうしたバランスや背景を分析的に見抜くことができれば、より洗練されたものを手に入れることができるのではないだろうか。